都電の車窓から

都内で唯一残された都電…「荒川線」。 家々が立ち並ぶ中を走るその姿は、 現代に残された下町そのままの形です…。 都電から見える景色・その周辺の街並み…。 それらを通して「下町・荒川」を知っていただきたい。 そんな思いでご紹介させていただく、フォトギャラリーです。


vol.2 町屋から三ノ輪へ -色づく銀杏と彰義隊- その4 最終回

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前回町屋駅前をスタートした今回の都電の車窓から。
終点三ノ輪橋停留所を目指して、都電沿いに進んでいきたいと思います。
季節は紅葉色づく12月の終わり。
それでは続きスタートです。

終点三ノ輪橋到着。円通寺を目指します。

前回のジョイフル三ノ輪商店街を抜けきれば、終点「三ノ輪橋停留所」はすぐそばです。
この三ノ輪橋。関東の駅百選に選ばれております。

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こんな感じのレトロ感あふれる停車場なんですよ!
写真にもあるとおりバラが咲き誇っておりますが、都電の沿線はバラを植えてあるところやツツジが見事に咲き誇る所もあって、見どころも万歳なんです。

さて、円通寺までは国道四号線「日光街道」を北へ少しすすみます。

目的地、円通寺到着!

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こちらが曹洞禅宗円通寺。三ノ輪橋からは歩いて5、6分といったところでしょうか。

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本堂手前、左側にあるのが「寛永寺黒門」。
今回はこの黒門を見物する為に町屋からテクテク歩いてきたわけなんです!

タイトルにずーっとある「彰義隊」とこの黒門。
その関係の前に彰義隊とは?何かご説明しましょう。

尽忠報国 彰義隊

時は幕末。
薩長連合軍に最後まで抵抗を図ったグループ。
なんですね。簡単ですみませんが、そういった人たちがいたんです。
「俺たちは最後まであきらめないぞ」という人達ですね。
で、江戸城が開城された後も市中で暴れてたんです。
勝海舟さんや、同じく上野に銅像がある西郷さんらはなんとか説得しようと試みていたんですが、それじゃラチがあかない。
これは討伐するしかない。

そして始まったのが上野戦争と呼ばれる現在の上野公園一帯で行われた戦闘。

新政府軍に必死に抵抗するも、一日で撃破されてしまった彰義隊
その彰義隊が立てこもった寛永寺にあったのがこの黒門なんです。

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柱には無数の弾痕が残され、今でも当時の戦闘の激しさを伺うことができます。う~ん、歴史好きにはたまらないスポットですね。
平日の午前中ですから人影もなく、見事に色づいた銀杏を背景にしばし呆然と立ちつくして眺めてしまいました。

というところで今回の都電沿線散歩は終了です。

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いかがでしたでしょうか。
今回の都電沿線散歩。
年に一度くらいは長編を…と思ってはじめたのですが、
すっかり足掛け2カ月かかってのご紹介となってしまいました。

次回からはまた色々なスポットに焦点をあててご紹介していきたいと思います。

おっと、都電沿線まで来たら、ぜひぜひそば処 金生庵にもお立ちより下さいませ。
都電東尾久三丁目停留所から徒歩3分となっております。