都電の車窓から

都内で唯一残された都電…「荒川線」。 家々が立ち並ぶ中を走るその姿は、 現代に残された下町そのままの形です…。 都電から見える景色・その周辺の街並み…。 それらを通して「下町・荒川」を知っていただきたい。 そんな思いでご紹介させていただく、フォトギャラリーです。


vol.1 東尾久三丁目 -ネコと煙突- [6]

到着しました!「都立尾久の原公園」。
周辺住民の憩いの場として親しまれているこの公園。
散歩する人、野球する子供。
夜でも結構人が憩っているそんな公園です。
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前回も言いましたが、もともとは工場の跡地。
東京大空襲の際も標的になったようです。

wikipedia
分類 都立公園
面積 61841m²
開園 1993年6月1日
事務所所在地 東京都荒川区東尾久7-1
公式サイト 公式サイト
1918年(大正7年) - 旭電化尾久工場竣工。
1965年(昭和40年) - 旭電化の工場転出が決定。
1977年(昭和52年) - 東京都が跡地を買収。
1986年(昭和61年) - 工場跡地の西半分に東京都立医療技術短期大学を開設(1998年に東京都立保健科学大学になる。2005年に首都大学東京に改組)。
1993年(平成5年)6月1日…工場跡地の東半分に都立尾久の原公園が開園。



大きな地図で見る


隣には首都大学東京もあり、この下町周辺では一番の「区画地域」となっているようです。
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それでは少し公園内に入ってみましょう。
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晴れの日は木漏れ日が気持ちいいですね、思わずゴロゴロしたくなります。
野球をする子供達もいました。こういう風景いいですね。
夏から秋にかけてはトンボがたくさん見れるそうです、確かにその季節に来ると結構飛んでるんですよね。

昔はただの沼地だったこの場所もすっかり変わりました。
小さなころザリガニを採った記憶がよみがえります。

さて、公園を東側に抜けて原中学校のある付近に行ってみましょう。

  • これまでの道の画

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